陸上競技大会の審判支援
陸上競技の大会に審判のお手伝いに行きました。
私が気にかけているのは、能登地方の高校です。選手達だけでなく、先生方も被災されている方ばかりです。
各校、学校ごとにテントを張り、生徒達はテントで体力を温存しながら休憩し、仲間の競技の時間になるとスタンドにでて声援を送ったり、動画を撮ってあげたりしています。先生方は、全員審判として運営に参加します。先生方だけでは運営できないため、各市町の陸上競技協会から支援の審判が参加します。私はその一員です。
現在は、まだ起業していないため、有休休暇を取得しての審判参加です。私のように厚生年金・国民年金を支払っている世代の審判は少ないです。陸協の大半の方は、年金受給者です。定年して第2、第3の人生を過ごされている方です。深刻な人不足であると毎回感じます。
運営側の人不足もさることながら、陸上競技に取り組む生徒達の数もかなり減っているように思います。少子高齢化の影響を陸上競技からも感じてしまいます。
能登地区のアスリートたち
能登地区の高校は、それに輪をかけて人数が少ないです。そこで、令和6年元日の地震です。多くの中学生、高校生は金沢など南側へ避難しました。そのまま転校・転学した生徒も少なくありません。
そんな中、地震の影響で能登地区から避難した生徒が、転校先の学校で陸上競技部に入って、競技を続けて、選手に選ばれて、大会に出ていました!とても嬉しかったです。その女子生徒と話をすることもでき、無事だったことに安堵し、競技を続けていることに感動し、激励しました。上手く走れなかったことの悔しさも伝わってきました。悔しいということは、本気で取り組んでいる証拠です。今後の彼女の活躍を能登から応援したいと思います。
他には、被災地で競技を続け、自己ベストを出している選手、県で6位に入って北信越に進むことができた選手、予選で自己ベストも出せず敗退した選手、精神的ストレスで部活をやめようと考えたこともあったけど、苦しみながらスタートラインに立ってレースに出た選手、何人もの年の離れた陸上競技の後輩たちと話をすることができました。審判のお手伝いをしながら、私がたくさんの力をもらいました。
たった一人の陸上競技部
能登地区、某高校の陸上競技部は、3年間部員が1人でした。そして、地震がありました。その選手は、避難生活を送りながらも部活を続けました。部活を辞めようと考えたこともあったそうです。そして、高校最後の県総体800mのスタートラインに立ちました。これだけでも充分すごいことであり、心の強さ、人間としての大きさを感じます。結果は、自己ベストは出せず、予選落選でした。レース後の彼の表情は悔しさがにじみ出ていました。
実は、私はこのアスリートのコーチを高校三年生になってから縁があってしています。彼がたった一人の陸上競技部、ということを大会のプログラムを見て知っていました。しかし、出会う機会もなく、なんとか手を差し伸べたいけどどうして良いかわからないまま過ごしていました。
彼が高3になったある日、偶然にも先生を含め会うことができました。そして、総体まで短い期間ではありますが、コーチをすることになりました。
彼のトレーニング場所は、道路です。陸上競技場は近くになく、学校のグランドも使えない状態です。仮設住宅が立ち並ぶ場所の前の道路です。その道路に100mごとにマーキングをして、800mのためのトレーニングをしました。回数を重ねる度に彼の動作は良くなり、彼も走ることを楽しんでいました。
しかし、総体本番では、思うような走りができませんでした。最後のレース、自己ベストを出して笑顔で締めくくらせてあげたかったです。私以上に本人は悔しいはず。スタートラインに立ち、挑むだけでもすごいことですが、やはり結果も欲しかったと思います。
青春時代は一瞬、二度と戻らない。
その大切な一時期を、一緒に過ごさせてもらえたことに感謝しています。ご理解いただいた、某高校顧問の先生、親御さんにも心から感謝しています。
アスリートの次は能登復興を手がける大工
その高校生アスリート、高校卒業後は、大工になりたいと話をしています。きっかけは能登地震です。能登地区では業者の数が圧倒的に足りていません。進路を決めた考え方が今の私と似ていて、そこにも縁を感じました。
その目標、夢も応援します。
私が今の仕事を辞め、みらい防災不動産を開業して、数年経った時に、彼と一緒に能登地区で仕事ができたら最高ですね。
「社会人になってもその気になれば走れるよ。」
私がそう伝えると、
「走ることは辞めません!将来出たい大会があります!」
という言葉が返ってきました。
コーチとして、これ以上嬉しい言葉はありません。
スポーツに関するお手伝いも、復興支援工事のお手伝いも、結局は人との繋がりなんだな、と再認識しました。
みらい防災不動産は、能登地区に縁のあるみなさんとの繋がりを大切にして、色々な可能性を拡げて行きたいと考えています。